(無)条件の承認と協力=家族

書くならTwitterにだったネタだけどアカウントがないためこちらに。
次回のLifeは「新・家族の条件 自分が理想だと思う家族のあり方」です。

[参考リンク]
2010年9月26日「新・家族の条件」予告編

自分を支えてくれる家族

私は自分の家族にとても満足しています。小さい頃はげんこつや押し入れに閉じ込めるといった当時は一般的なしつけこそされていたものの(しかも兄や姉に比べると比較的軽度)、親は経済的にも精神的にもよく支えてくれますし、兄(姉)弟仲も良い方だと思ってます。妹(犬)もかわいい。
人は「承認されなければ生きていけない」という考え方が前回*1取り上げられていました。社会で生きていくこと=何らかの共同体に身を置きそこで承認を得ていくということでもあります。それは「コミュニケーション能力」という才能なのかテクニックなのかも分からない武器を持たぬ者には辛い戦いです。
だからこそ、無条件に自分を承認してくれる家族が私には必要です。私を力強く支え社会に送り出し、疲弊して帰った時には暖かく迎えてくれる、そんな家族が私にとっての理想です。

自分は家族を支えているか??

一方的に家族に支えてもらうばかりで良いのでしょうか。否、祖母や親兄弟は私を支えるために存在しているわけではありません。彼ら自身もまた弱い存在であり、助けを求める時もあるでしょう。今は学生として可能な限り、社会人になればより一層家族(これからの家族も含む)を支えていきたいです。
こう考えるようになったのは、今の大学に入学して一人暮らしを始めてからです。距離が近すぎた時は支えてくれるのが当たり前すぎて、卑近な例で言えば皿洗いを手伝うことさえも「なぜ自分がそんなことを!」と憤っていました。しかし、色々な事を経験する内に父や母らの苦労を身を以て知り、素直な気持ちで手を差し伸べられるようになりました。距離感が変わったことで、おんぶにだっこだった自分を認識出来たのでしょうね。

私にとっての理想の家族像

「無条件で認め助けてくれる家族」というのが第一段階の理想の家族像。少し大人になってからは「無条件に認め合い助け合える家族」というベタなものに落ち着きました。「自分自身も無条件に家族を支える」ことがある意味で条件になっていることは要注意です。
誰かが自分の力やポジションを利用して一方的に支えてもらっている状態は、長期的には崩壊の危険性があると思います。家族の誰かが倒れた時は、他の皆が起こしてあげる。逆もまた然り。「自分のことは自分でやりな」的な家族は、私は嫌です。
※人それぞれの家族の話を聞くと、「家族(血縁)を過信しすぎるのもどうか?」と考えさせられることもあります。「家族」って何なんでしょうね...